序章
      
一人の旅人がいた。その旅人は夜の訪れた森の奥で、バラに囲まれた屋敷をみつけた。す
べての窓から光が漏れている、とても大きな屋敷だ。かれこれ三日間は森の中を歩き
つづけている。冬の森出これ以上野宿は耐えられないと、門の前まで行くと、地面に
つきそうなほど長い薄紅色のドレスを着て、真っ赤なショールを持った、二十歳ほど
の少女が立っていた。髪は綺麗な金髪、目は青色だ。 「いらっしゃいませ、ヘグニック家へ」  透き通るような声に旅人は恐怖を感じた。少女からは生気が感じられない。 「もう日も落ちる事ですし、中で休まれてはどうでしょう?」  有無を言わさない口調だった。少女は返事を待たずに、門を通って屋敷へ歩き出した。
旅人はその場から逃げ出したかったが、なぜか足が勝手に屋敷へと向かってしまう。 「貴方の名前はなんですか?」    旅人の質問に、少女は答えなかった。 「…バラが多いですね」  沈黙に耐えられなかったのか、旅人はまた質問する。 「ここは、元々はお墓だったんですよ。バラは後から植えられました」  少女は立ち止まり、旅人のほうを振り向くと、ある場所を指差した。そこには石造りの
十字架があった。よく見ると、その前にも、隣にも、同じような十字架が沢山ある。 「このお墓は私の祖父のものです」  慈しむように少女はその墓をなでた。 「どうして墓がこんなにたくさんあるんですか?」  聞かれた瞬間、墓を撫でる手が止まり、悲しそうな顔で旅人を見つめた。そりからまた
屋敷に向かって歩き出す。 「それは、ヘグニック家が吸血鬼を浄化する、浄人の名家だからです。お墓は吸血鬼と戦
って、そして死んでいったわたしたち一族のものです」  少女は屋敷の扉をあけた。旅人は息を飲んだ。シャンデリアには明かりがともり、暖房
器具が無いのに温かい。床には赤い絨毯が敷き詰められている。 「この時代に、吸血鬼?」 にわかには信じられない話に、旅人は聞き返した。少女がくすり、と笑った気がした。 「もちろん、吸血鬼がいたのはもう何十年も昔の話ですわ」  応接間です、と言い、少女は扉を開けた。 「どうぞ、お座り下さい。飲み物を持ってきます。紅茶でいいですか?」  やわらかなソファに腰掛けて、はい、と答えた。少女が部屋から出て行くと、旅人はた
め息をつき、部屋の中を見渡した。広間と同じく、心地よい温度、赤い絨毯。窓には
カーテンが引かれていた。部屋の隅に本棚が置かれてある。旅人はその本棚に近づき
、どんな本があるのかと、見てみると、全て同じ種類だった。『ヘグニック家の歴史
記録』。  よく見ると、本棚の端に、記録ではない本が立ててあった。何だろうと旅人はその本に
手を伸ばした。 『ヘグニック家の崩壊、真実』      濃い赤色をした表紙に、金の文字でそう書かれていた。旅人はその本の、最初のページ
を開いた……。 戻る 進む