九章 日の沈み

 夕方になって、ナプテナが帰ってきた。
「ただいまっ。あれ、シャクト街に行かなかったの?」
船から下りるなりナプテナが言った。
「こいつが逃げ出そうとしたから、ずっと見張ってたんだ」
シャクトはリアを指さした。
「ああ、そうだったの。いつもならこの時間はまだ帰ってないもんね。あ、今日はイ
ーダも泊まってくって。食材いっぱい買ってきたからさ、みんな作るの手伝ってね」  イーダが木箱を抱えて梯子を降りて来た。 「やあ、こんばんは。この袋見てくれよ。ナプテナが調味料やら何やらすごい買い込
んじゃって・・・まだあるから、悪いけどシャクト運んでくれるかい? 甲板に積ん
であるから」  シャクトは船にのぼったかと思うと、紙袋を二つ持って降りて来た。 「ナプテナ、こんなに食いきれないだろ! 考えてから買って来いよ」 「うるさいなぁ、私のお金で買ったんだから文句ないでしょ。いいから運んで。リア
も行くよ」  ナプテナは、自分は何も持たずに調理場まで下りていった。 「じゃあ、やり方教えるからリアは野菜切って。イーダはご飯、シャクトは何でも良
いからおかず作ってよ」  てきぱきと指示をしてから、リアに野菜の切り方を教えた。全くの初心者だったの
で、基礎の基礎――包丁の持ち方――から叩き込まなければいけなく、これに結構時
間を取られた。  やっとナプテナが自分の料理に取り掛かる頃には、シャクトは二品もおかずを作っ
てしまっていた。いろんな匂いが混ざって調理場は大盛況だ。 「リア、早く切れよ。それ次に入れるんだ」 シャクトはなべをかき回しながら、地道に野菜を切っているリアを急かした。 「これでも必死にやってるのよ、ちょっと待ってて!」  不器用にじゃがいもをぶつ切りにする。 「リア、次はこれ切って。千切りにしてね」  調理場の端からナプテナが野菜を投げてきた。 「今日は食卓が随分豪華だな」  やっと食事が完成すると、シャクトは席につくなりそう言った。机の上に並べられ
たのはオムライス、野菜スープ、薄く切ったダズを軽く湯で、蒸したじゃがいもを巻
いたもの、それからきのこと貝類を炒めたものだった。  リアの目からしたら、それほど豪華な食事ではない。これくらいならば昼食のメニ
ューだ。 「リアが仲間になってくれたから、ちょっと奮発したの。また明日からは貧乏メニュ
ーに逆戻り」  ちぇ、とシャクトは口を尖らせた。シャクトが子供っぽい反応をしたので、リアは
思わずくすりと笑った。  食事の席は、リアがこれまで経験したことのないほど賑やかで笑いに溢れていた。
イーダが遠い西の国の出身で、そこは吸血鬼に支配されていなく、文明がとても栄え
ていること、そして彼が国で指折りの技術士であること、シャクト達を初めてそこへ
連れて行ったときの、鳩が豆鉄砲食らったような表情と、恥ずかしくなるくらいのは
しゃぎ様など、どれもリアにはわくわくするような話ばかりだった。 「僕がこの街に初めて来たとき、ナプテナもシャクトも狂ったように吸血鬼を浄化し
ていたんだ。僕が街へ降り立つと、ぼろぼろの衣服をまとった二人が猛然とやって来
て、夜の街は危ない、商人風情が何の用だってシャクトが凄い勢いで怒鳴り込んでき
てさ」  その時のことを思い出したのかイーダはくすっと笑った。 「僕の船は吸血鬼が襲ってこないように細工が施してある。とにかく中へあがっても
らい、話を聞いているうちにいたたまれなくなって、仲間になったのさ」   「・・・さて、食事も終わったし、夜も更けたね」  ナプテナは立ち上がり、シャクトとリアに目配せをした。何が言いたいのか、すぐ
に察しがついた。仕事の時間だ。  シャクトも席を離れた。あたしが洗い物するからとナプテナはリアに言った。イー
ダも何か技師としての仕事があるらしく、廃墟に残るらしい。  リアとシャクトは連れ立って森へと入った。フォースがいないので、街まで歩きだ
。今夜は特に冷える。一歩踏み出すごとに、枯れ葉がかさかさと音を立てる。星が二
人の頭上で瞬き、月は白く儚い光を発している。月の光は、闇の生き物吸血鬼に力を
与える、とリアは以前イストンに教わっていた。だから満月の夜は、いつも以上に吸
血鬼が騒ぐらしい。  リアの指輪が細い光を紡ぎ出し、二人の行く手を照らした。シャクトは、イーダに
貸してもらった懐中電灯を持っていた。リアは初めてそれを見て、驚いた。 「街へついたら、まず住宅街へ行く」  道なき道を進みながら、半歩後ろを進むリアにそう告げる。 「吸血鬼は中央の広場を突っ切って毎晩反対側に位置するそこを襲いに行く。お前が
やってたみたいに空をぐるぐる飛びながら吸血鬼を探すよりも、そのほうが遥かに効
率がいい」  やがて、街の端へ到着した。 「昼に話した、商人たちの船着場だ。今は暗くてよく見えないけど、イーダの乗って
いる船なら五隻は泊まれる広さだ」  船は、イーダの乗っているものと同じく空を飛んでくるらしい。そこを抜けると、
大人三人はゆうに並んで歩けるくらいの広い通りに出た。 「T字型に延びる大通りは商店街になってるんだ。他の小道は全部、民家へ続いている」  シャクトは低く、小さい声でそう説明した。そして大通りの半分もない脇道へと曲
がり進もうとしたが、リアがまったをかけた。 「二手に分かれたほうが効率が良いわ」  シャクトもそう考えていたのだろうか、首を縦に動かした。 「空が白み始めたら、さっき通った船着場の前で落ち合おう」 がんばれと言い合い、ふたりは別方向へ歩みを進めた。 道の両脇に、ひしめくようにして家が建てられている。家と家の間には紙一枚挟む隙
間も無いほどだ。吸血鬼に破壊されないように考慮したのか、家は石造りだった。ど
この家も窓には木戸をはめ込み、扉をかたく閉ざしている。一筋の明かりさえなく、
辺りは不気味なほどの静寂に満ちていた。リアは意識を全て目と耳に集中させた。ど
こかで悲鳴が聞こえないかと耳を澄まし、闇にさ迷う吸血鬼を見つけ出そうと目を凝
らした。 ふと、前でぺたっと足音が聞こえた。リアは立ち止まり、目を地面へと向けた。ゆっ
くりと数歩先を照らし出した。光の端が捉えたのは、赤黒い裸足の、血管の浮き出た
皮膚。間違いなく吸血鬼だ。リアは間髪入れずに右の小指を引っ込め、代わりに人差
し指を構えた。前方にいる吸血鬼を貫く光がほとぼしり、目の前の敵はぎゃっと絞る
ような声を発したのと同時に撃たれた箇所から光へ吸い込まれた。 再び訪れた静けさは、あっけなく破られた。どこか、それほど遠くない場所で扉が壊
される音と、悲鳴がした。リアは瞬間に走り出した。騒ぎが起きているのは、おそら
く右手側だ。小道を疾走し、事件の起こっている場所へと急ぐ。しかし最初の騒音の
後は、なにも聞こえなくなってしまった。慣れない道と暗闇のせいですぐに駆けつけ
られないことに腹立たしさと焦りを覚えた。 ただひたすら走っていると、今度は突然横から吸血鬼が二匹飛び掛ってきた。焦りの
あまり、近くにいたことに全く気づかなかった。悲鳴はいまやあちこちで上がってい
るが、はっきりとした場所を特定できない。急がなければ、誰一人救えない。何の役
にも立たずに夜が明けるなんて許せない。  すぐ近く、リアのいる道の前方でガラスが割れる音がした。窓から侵入しようとし
てる吸血鬼がいる。 ――じれったい!  リアはがっちりと身体を掴まれた状態のまま、右手にはめた全ての指輪の魔力を開
放した。四つの指輪が織り成した目が眩む聖なる光に、リアを捕らえていた吸血鬼も
、今まさに民家に押し入ろうと窓枠に足をかけていた吸血鬼も、一瞬にして浄化され
た。  月が沈み、太陽が昇るまでの間、リアはだんだんと吸血鬼を効率よく浄化するコツ
を掴んでいった。広場に近い住宅地は吸血鬼に狙われやすかったので、主にそこを見
回った。襲撃は後を絶えず、一度に何匹も倒せるようにリアは広範囲を攻撃できる術
を使い続けた。  闇が引き始めるのと共に、吸血鬼も姿を消し始めた。空が薄明るくなる頃、街によ
うやく安堵という静けさが訪れた。  この一晩で、リアが他の浄人を目にすることは無かった。   戻る